筑後の交通の要衝として発展した久留米
藩政時代から現在に受け継がれる誇り
江戸時代には有馬家が21万石を領する城下町として栄え、明治22年(1889年)の市制施行により久留米市が誕生しました。
近代以降は久留米絣(かすり)やゴム産業を中心に産業が発展。文化芸術の分野でも青木繁や坂本繁二郎、古賀春江など高名な洋画家を輩出しました。
また、久留米大学病院や聖マリア病院をはじめとして、全国トップクラスの医師数を誇る医療の街としても知られています。
恵まれた水と緑を大切にしながら、久留米市に住み、集うすべての人が人権の尊重・市民の自立性を基本に、都市や環境と共生する『水と緑の人間都市』を基本理念とした都市づくりが進められています。
「しごと」と「ひと」の好循環を確立し、「まち」に活力を取り戻す地方創生。久留米市では人口減少・超高齢社会に対応した都市づくりをあわせて行い、持続可能な地域社会の形成を目指しています。
2018年7月、西日本鉄道(株)は久留米市と連携を強化し、地域の活性化に資するための包括連携協定を締結しました。人口減少が進行する中で、持続可能な公共交通を維持し、自治体と一体となったまちづくりを推進することの必要性を重視。今後は交通拠点の魅力・利便性向上や公共交通の維持・利用促進、観光・地域振興、移住・定住促進などに関し、相互に情報や意見を交換、これまで以上に協働して取り組んでまいります。